国民同志会 会長

吉田尚正

「ひとつの天皇論」発表 (八月十五日)

増原前防衛庁長官の内装発言問題に端を発した「天皇問題」の論議は、各方面で活発な意見があったが、国民同志会では「天皇問題」に対する見解をまとめ、「ひとつの天皇論」としてパンフレットを発表した。

ひとつの天皇論

増原発言を契機として、ひとしきり世論を騒がせた天皇問題も、軽佻浮薄の世情をそのままに反映して急激に鎮静化の方向に向かい再び我不関の小市民日本の状態に落ち去った感が深い。

その間、政府側は専ら逃げの一手、さわらぬ神にたたりなしを地で行った感じで論評の言葉も出ない情なさであったが、それはさて置き、鋭敏な感覚と今日的な表現を至上の武器と誇示しているマスコミの天皇像に対する麻痺症状にはいささか驚かされた。

事実認識の鉄則を忘れ間接情報による推定を論拠として議論を組み立てる論理構成の甘さ、それにも増して彼等マスコミの姿勢の崩れ、即ち厳密さを要求される主語の混乱である。所説の正当を訴えたい時、彼等の使用する主語欄には、大衆・庶民・市民・民衆はては消費者と、使い古された主権在民の主体者定義の展開に応じて自在に使い分ける御都合主義は、彼等の天皇観、民主主義観がマンネリ化して弾力性を失い、昏迷に陥って歯止めがきかなくなった事実を如実に物語っている。

我々は憲法とも制度とも或いは信仰とも全く無縁の実態としての天皇の実在を感じとるが故に、我々の心情は専ら「実在としての天皇と、像としての天皇」「個としての天皇と、系としての天皇」に向けて発想し、このアプローチによる確実にして爽やかな手応えによって、正に世界無類の天皇讃歌を高らかに一語い上げ、日本民族の限りなき成長も併せて希求しようとするものである。

我々が天皇の像を通して実在にせまろうとするならば、蛇にも似た論理の冷酷をすて、初心の感動と井底のしろがねを探る真撃な発想によらなければ実在への理解も認識もましてや長い歴史をついに凌ぎ抜いた天皇の座に対する敬慕感などは生れるすべもないと思われる。”座” とは”おわします”ところであり、時代の変遷に伴って位(くらい)ともなり象徴ともなったが、天皇の座としての本質は脈々として変らない。ただこの像(すがた)を、さかしらぶって制度として捉えようとする所に人為的な力が働き、無理が生じ易い。

如何に時の権力者実力者が、天皇を利用し、カを奮って自らの為に制度的安定を計ろうとしても、所詮は数世代、精々十数世代の命脈しか保ち得ないというのも、人為的であり能動的すぎる欲求の結果として止むを得ないのかも知れない。

史上空前といわれる豊儀の時代にさしかかって、人は、何でも持てると思い、何でも出来ると信じこみ、なりたいものには吃度なれると容易に信じる軽卒さと倣慢さを身につけ出した。けれども、彼等が如何に思い上ってもどうしてもなれないものが天皇である事をあらためて認識する必要がある。仮に天皇が保有していると信じられた政治的・社会的・経済的権力を一時的に持ち得たとしても、彼等の栄耀は数代にも至らず没落し去った歴史的事実をどう解したらいいのであろうか。

個としての天皇の虚像には物理的に近づき得ても、系としての天皇の実像には運命的に接近出来ない証左がここにも発見出来る。百代以上の系を厳存させながら現代に至ることの困難は正しく想像を絶するものがあり、現代にも神話が存在するとするならば、系としての天皇の実在を措いて外にはない。そこには個々の欲望の超越して全く受動的な、無から発して究極的には天に至る壮大な架け橋を歴史の大河に架け続ける、崇高な精神の骨組みがある。詮索好きな歴史研究家が、系としての天皇の一貫性の断絶の兆しを仮に発見し得たとしても、それらの取庇を含みながら、天皇を護りつづけて現代に至った日本人の、民族的意志の根強さに改めて敬意を表せざるを得ないだろう。 個としての天皇は、明らかにその時代々々の制約下における人間的存在であり、中には明治帝のように古今東西の英雄にも比肩して余りある資質の持主もあったろうし、またそうでない凡庸の資質の持ち主もあったろう。古くは雄略帝の粗暴専制、あるいは血肉の聞に血で血を洗う惨劇を繰り返さねばならなかった天智帝、天武帝の悲劇、称徳帝ほか女帝にまつわる生々しい人間関係の風説等々、歴代天皇の個々の人生については、人間くさい様々の展開が現代にも稗史となって存在している様に、明らかに当時の時代的背景のもとに生を享けた一個の生きた人間像であったといえる。権力意識の旺盛な人格も、世捨て人的隠遁をひたすらに欣求する人格も、すべて天皇に内在する人間性そのものであって、それらを否定しつくして神格化しようとした近代思想家の一部の試みは”独断”のそしりを受けても止むを得ないものであったろう。

しかしながら、このような人間的側面を有しながらも、夫々の天皇に共通していえることは、その意識形成過程を通じ一貫して造か皇祖皇宗よりの系の受けつぎが前提され、有形無形を問わず、受けついだものを己れをむなしくして皇子皇孫にむかつて引きついで行く至上の使命と運命が厳存していたことである。

近時、梢々もすれば皮相的な邦捻の対象とされ易い,寓世一系ダの意味が深い認識をもって問い直されるべきであるとの議論も、とのあたりに洞察の目が向けられて然るべきであろう。

ひるがえって古事記万葉にはじまる日本のロマンは、壮大素朴なひびきをこめて現代人の心に訴え歌いかけているのであるが、その重要な部分を占めるものは、いにしえ人の健康質朴な感覚に裏打ちきれた、天皇に対するまぎれのない憧慢であり讃歌であった。

ここには古代人の渇仰を通じて自然に組み上げられた天皇の実像と、天皇の実在を無意識に浮き彫りにしようとする彼等の心情的作業の反映があり、それは何のためらいもなく現代日本人の永遠の郷愁につながって、民族としての精神的靭帯を引き緊め、共通の使命観に立った運命的意志にまで昇華した。

実在するものはすべて滅びる。天皇とても例外ではなく個としての生は果てるとしても、その実在は空間を超えて連綿の時聞につなぐ厳しい像(すがた)となって顕現し、永遠へと指向するのである。

我々の思想的・行動的理解においては、現代日本の起点は終戦の年昭和二十年八月十五日に置かれる事を確信し、その観点から諸々の政治社会現象に対する原理的問い直しを試みた。

天皇問題に対しても例外ではなく、幾度びか迷い、疑い、価値観の寄迷に陥りながら今日に至った。そしてこと天皇に関する限り、その原点は「系と個」「実在と像」に絞って試行的接近を重ねた末、はるか悠遠の彼方に存在し、更に悠久の生を生き続ける事を認識したのである。

ここに至って、我々は思う。天皇の実像ではなく虚像を担造して徒らにあげつらい、天皇像を卑小化して為にせんとする一部文化入学者徒輩の思い上りに対して公憤の鉄槌を振り下ろしたい衝動に駆られるのは、果して原始人的衝動であろうか、それとも天皇をひたすら敬慕し続けた大和民族の血のさわぎであろうか。

自然間汰の名において、ほろび行くものはほろびに任せ、生き残るものは生きて行く手応えと使命と価値を体感して、子孫の秘伝を伝える。受けつぐものは父祖“つたえ“を自由に取捨選択しながら、それぞれの時代に適応した“何か“ を身につけ発動させて行く。これが自然の摂理というものであろう。

そして我々の敬慕の中心である天皇は、連綿の聖なる系の受け手、渡し手として、いわば古代的発想による神と人との中聞におわす“無二”の実在として永遠の生を生きんとする。この現代の神話、この不可思議さ、このまぎれもない歴史的、社会的、宇宙的事実を噛みしめ踏まえて今後の思考、行動の指標にしたいと思う。

以上

あとがき

天皇問題に関しては、群盲巨象を撫すの類いで、様々な論評が加えられているが、我々の所見も亦、盲人の一撫で、よしのズイから天井を覗くものであるかも知れない。それはそれ、今後機会を見て更に多岐多様の視点から繰り返し天皇問題へ本質的にせまって行きたいと思う。

我々の雑見に対し、江湖諸賢の厳正な御叱正、御批判を虚心坦懐、お待ち申し上げる次第であります。

昭和四十八年八月十五日

国民同志会

会長 吉田尚正

history

年表

昭和三十九年
三月五日 常任総務会開催
三月十一日 世界平和宣言発送
三月十三日 常任総務会開催
三月二十一日 全国代表者会議開催(大阪府農林会館)
四月二日 坂西志保国家公安委員就任に反対する抗議電報打電
四月九日 組織部会議
四月十一日 公労協ストで池間首相、大橋労相、石田国鉄総裁に警告書送達
四月十四日 太田総評議長にスト中止の電報打電
四月十八日 熊本城南支部結成式挙行(熊本多良木王宮神社)
四月二十二日 日松村謙三中共訪問で大平外相、藤山自民総務会長に公開質問状
五月一日 外務省後宮アジア局長より回答
五月四日 紀元節問題で池田首相に要請書手交
五月八日 藤山自民党総務会長より回答
五月十二日 紀元節問題で池国首相に公開質問状
五月二十六日 池田首相より回答
五月二十八日 緊急執行部会議開催
六月一日 中共国際見本市開催の中共旗掲揚について要請書
六月四日 中共見本市問題で声明発送
六月六日 石橋湛山氏宛親書送達
六月八日 執行部会議開催
六月十日 緊急幹部会開催
六月十三日 中共見本市会場で中共旗掲場問題で交渉に当った本会青年隊員と

同会場普備員とが衝突、田中隊員逮捕さる

六月十五日 田中隊員釈放さる
六月二十日 石橋湛山氏に全公職辞職勧告を行う
六月三十日 石橋市惜山氏より回答
七月八日 高知支部結成式挙行(高知市渇宮八幡宮)
七月十一日 池田自民総裁に退陣要求要望書送達
八月十四日 故吉固まつ枝殿(吉田総裁夫人)十三回忌法要(四天王寺)
八月三十日~九月二日 青年隊三河・三重両地区遊説
九月二日 内外重大時局打開演説会開催(四日市市民ホール)
十月四・五日 青年隊第一回錬成会開催(三重県尾高ヘルスセンター)
十月八日 第五八宝洋丸沈没事件で朴韓国大統領に抗議書、

池田総理に要請書を送達

十一月三日 寝屋川支部・青年隊屯所結成式挙行(寝屋川菅原神社)
十一月二十二日 若戸支部結成式挙行(北九州市恵比須神社)
十一月二十四日 三重県ダイナマイト事件発覚、泉谷、伊藤、平野各隊員逮捕さる
十一月二十五日 指令書発送
十一月二十六日 緊急幹部会開催
十二月六日 青年隊会議開催
昭和四十年
一月四日  東西両本部で初出式
一月二十一日  常任総務会開催
一月二十三日  幹部会開催
一月二十七日  佐藤首相に紀元節問題で要請書手交
高杉晋一日韓会談代表に要請書を手交
一月二十八日  河本敏夫内閣委員長に紀元節問題で要請書手交
二月十一日  紀元節奉祝国民大会開催
二月十六日  日韓基本関係条約調印で椎名外相、佐藤総理に電報
三月五日  組織部会議開催
三月二十二日  ソウルの日の丸焼却事件で抗議電報
四月四日  字治支部結成式挙行(宇治神社)
五月一日  三曜会第六回大会開催(大阪府農林会館)
五月二十二日  小倉支部結成式挙行(小倉八坂神社)
六月五日  緊急幹部会開催
六月九日  紀元節問題で佐藤総理に公開質問状
六月十六日  日韓交渉(竹島問題)について佐藤首相、椎名外相に要請書送達
六月二十二日  日韓会談本調印
六月二十三日  日韓会談本調印に関し、佐藤首相、椎名外相、高杉代表に文書を送達
九月一日  三重事件判決
九月六日  常任総務会開催
九月十五日  緊急幹部会開催
十月三日  鹿児島県指宿支部結成式挙行
十月十六日  頭山満先生・内田良平先生並国民間志会関係物故者慰霊祭執行
 (四天王寺)
十月十七日  全国代表者会議開催(税理士会館)
十月二十日  公労協ストに対し中村文相、宮ノ原日教組委員長に抗議電報を打電
十一月二十五日  海員ス卜に関し佐藤首相、全日本海員組合にスト中止要請電報を打電
昭和四十一年
一月四日  東西両本部で初出式
一月二十日  佐藤首相に公開質問状(紀元節問題)の回答求める(新大阪ホテル)
一月二十二日  京阪神在住幹部会議開催(府立労働会館)
二月二日  紀元節復活に関する声明を発表
二月四日  佐藤首相、木村内閣委員長に紀元節復活の要請書を手交
二月十一日  紀元節奉祝国民大会を挙行(大阪中之島中央公会堂)
二月二十五日  祝日法案成立を期し佐藤首相ら関係方面に要請電報を打電
四月二十二日  祝日法案審議について佐藤首相らに要請電報打電
四月二十五日  祝日法案後回し審議に対し、前尾、西村両議員に抗議電報打電
五月十四日  福岡南支部結成式を挙行(大宰府神社)
五月十五日  北九州八幡支部結成式挙行(豊山八幡宮)
五月十八日  熊本城北支部結成式を挙行(藤崎宮)
七月十五日  建国記念日審議会委員叩氏に親書を送達
七月二十七日  建国記念日審議会に要請電報
八月十六日  建国記念日審議会委員に要請書送達
十月七日~八日  関東地方遊説(茨城・埼玉両県下)
十月二十五日  緊急幹部会議開催(大阪府立労働会館)
十一月五日  佐藤首相、有田文相に要請書送達
十二月八日  二月十一日を建国記念日とする旨の答申
十二月九日  建国記念日決定で佐藤首相らに祝電
昭和四十二年
一月四日  東西両本部で初出式
一月二十五日  幹部会議を開催(大阪府立労働会館)
二月十一日  復活第一回の紀元節・桓原神宮~中央公会堂閣のパレード実施、
奉祝式典並祝賀会を開催(中央公会堂)
吉田益三総裁急逝
二月十三日  故総裁密葬儀(吉田邸)
二月十七日  故総裁吉田家本葬儀(四天王寺)
三月二日  緊急幹部会議開催(大阪府立労働会館)
五月二十三日  九州地区支部長会議開催(福岡警固神社)
六月七日  京都峰山支準結成
六月十七日  姫路市で座談会(護国神社)
八月一日~九日  九州地区遊説
八月二十六日  姫路市街頭宣伝
九月十六日  九州地区懇談会開催(福岡市警固神社)
九月十七日  九州地区大会開催(福岡町村会館)
十月四日  最高幹部会議開催(関西本部)
十月九日  羽田事件(一次)で佐藤首相らに要請書送達
十月二十四日  日教組ストに対し文相に要請書送達
十月二十八日  在京幹部会議開催(総本部)
十月二十九日  東京渋谷支部、松楽会支部会合(渋谷区はる奈)
十一月十三日  羽田事件(二次)で国家公安委員長らに要請書送達
昭和四十三年
一月四日   東西両本部で初出式
一月十日   近畿地区幹部会議開催(府立労働会館)
一月十四日   福岡地区幹部会議開催(福岡市電電公社会館)
一月十五日   熊本地区幹部会議開催(熊本市加藤神社)
一月二十五日   関東地区幹部会議開催(総本部)
一月二十六日   東海地区幹部会議開催(三河支部・三重支部)
二月十日   全国代表者会議開催(大阪中央公会堂)、
吉田尚正会長就任、新体制発足なる
二月十一日   故吉田益三総裁一周忌法要厳修(大阪四天王寺)
二月二十七日   組織点検で指令第一号を発送
二月十六日   姫路支部結成式挙行(護国神社)
二月二十二日   佐藤首相へ「直言書」手交
四月十五日   総務・委員を発令
四月十九日   朝鮮大学校認可で美濃部知事に抗議文を手交
五月十五日   総務・委員会議を開催(大阪府立労働会館)
五月二十九日   時局研究会開催(関西本部・講師富岡定俊氏)
六月十六日   北九州花尾城支部結成式挙行(豊山八幡宮)
北九州戸畑支部結成式挙行(八幡神社)
七月十日   ポスター貼布を指令
七月二十六・七日   三河地区遊説
九月十九日~二十一日   九州地区青年局員が自衛隊体験入隊
十月二十八日   黒龍会関西関係物故者慰霊法要厳修(大阪四天王寺)
昭和四十四年
一月四日   東西両本部で初出式
二月十日   支部長会議開催(大阪府立労働会館)
四月八日   日中貿易で自民党本部に抗議文手交
四月十日   日中貿易で佐藤首相に要請書手交
六月八日   名古屋支部結成式挙行(豊田神社)
六月十日   支部長会議開催(大阪府立労働会館)
七月十五日   東京都議会選挙結果について美濃部知事に退陣要求書を手交
八月二十一・二日   京都府下遊説
八月三十日   第十三福寿丸事件で愛知外相に抗議電報
九月三日   愛知外相訪ソに当って要請書を手交
十一月八日   佐藤首相に「建白書」を送達
十一月十五日   佐藤首相訪米に当って「要求書」を手交
十一月十八日   三河支部懇談会開催
十一月十九日   三重県支部、菰野支部懇談会開催
十二月三日   和歌山県遊説
昭和四十五年
一月五日  東西両本部で初出式
一月十日  最高幹部会議開催(関西本部)
一月十四日  関東地区支部会合開催(総本部)
一月十八日  東海・近畿地区支部会合開催(関西本部)
一月二十五日  九州地区支部会合開催(福岡市母子会館)
一月二十九日  佐藤首相に「建白書」を送達
二月十一日  紀元節奉祝橿原神宮参拝、幹部懇親会開催(中央公会堂)
四月十二日  故吉田益三先生追悼三曜会大会挙行(阿倍野区民ホール)
四月二十一日  日中貿易で佐藤首相に要請書、自民党に抗議文を手交
五月四日  日中貿易で古井喜実氏に「公開質問状」送達
五月八日  古井喜実氏より返書
五月九日  古井喜実氏に再文書
五月十四日  古井氏より返書
六月二十一日  青年局近畿地区結集大会開催(大阪府トラック会館)
六月二十二日  自主防衛問題で佐藤首相に要請書を手交
七月十八日  家永教科書判決で坂田文相に「要求書」を送達
十月一日  「結組満二十周年・改称満十五周年記念運動を指令、
記念運動「北方領土奪還全国署名運動」開始
昭和四十六年
一月五日  東西岡本部で初出式
二月十一日  各支部で一斉に紀元節奉祝参拝と北方領土奪還署名運動を実施
三月十日  日中貿易で岡崎嘉平太氏に「抗議文」を送達
五月十二日  和歌山市遊説
七月六日~十日  東海地区遊説(記念運動全国一周遊説)
七月二十六日~八月九日  東北・北海道地方遊説(記念運動全国一周遊説)
九月二十七日  天皇陛下御訪欧平安を祈願(湊川神社)
十月一日  佐藤首相に「建白書」を手交(新大阪ホテル)
十月十九日~二十八日  中国・九州地方遊説(記念運動全国一周遊説)
十月二十六日  天皇・皇后両陛下奉迎(大阪天王寺駅)
十二月二十三日  姫路地区遊説
昭和四十七年
一月五日  東西両本部で初出式
一月二十一日  黒田大阪府知事糾弾立看板を掲出
二月十一日  紀元節奉祝橿原神宮参拝
二月二十一日~二十三日  青年局幹部練成会(観心寺)
二月二十五日  佐藤首相、福田外相、コスイギン・ソ連首相に北方領土奪還署名簿を提出
三月十八日  熊本県上益城支部結成式挙行(小一領神社)
三月二十八日  姫路支部結成五周年記念大会挙行(富士観ホテル)
四月七日  外務省機密漏洩事件で、社会党、毎日新聞社に「公開質問状」送達
四月十七日  毎日新聞社より回答
四月二十四日  毎日新聞社に再文書を送達
五月十九日  社会党より回答
五月二十四日  社会党へ再文書を送達
七月二十日  田中首相へ「提言書」を送達
九月二十一日  問中訪中に当って「要請書」を送達
昭和四十八年
一月五日  東西両本部で初出式幹部会議
二月十日  幹部会議開催(中央公会堂)
二月十一日  紀元節奉祝橿原神宮参拝
故総裁七回忌法要厳修(吉岡邸)>
四月二十日~二十三日  東海地区遊説
四月二十二日  東海地区研修会開催(豊橋・真誠会館)
六月九日~十日  青年局近畿地区練成会開催(四天王寺)
八月十五日  「ひとつの天皇論」発表
八月二十六~二十八日  九州地区練成会開催(熊本県・通潤荘)
九月十日  長沼訴訟判決で田中首相に勧告書送達
九月十八日  田中首相訪ソで要請書送達

昭和四十八年八月一日現在

国民同士会役員名簿

会 長 吉田 尚正
    総務委員会
委員長 千葉 裕次郎
    内外対策推進委員会
委員長 小林 秀信
書記長 藤田 洋一
(兼組織局長)
事務局長 石川 文吾
渉外局長 富沢 政信
青年局長 西上 正澄
青年局次長 平 博之
青年局次長 奥見 則夫
顧 問 藤 二雄
顧 問 榎本 容山
相談役 星井 真澄
相談役 住田 徳市
相談役 坪井一夫
参 与 吉野 照雄
参 与 吉村 法俊

昭和四十八年八月一日現在

組織一覧表

阿見 支 部 (茨城)
岩槻 支 部 (埼玉)
中野 支 部 (東京)
渋谷 支 部 (東京)
松楽会 支 部 (東京)
名古屋 支 部 (愛知)
三河 支 部 (愛知)
三重県 支 部 (三重)
菰野 支 部 (三重)
京都 支 部 (京都)
峰山 支 準 (京都)
和泉 支 部 (大阪)
牧岡 支 部 (大阪)
姫路 支 部 (兵庫)
和歌山 支 準 (和歌山)
福岡 支 部 (福岡)
福岡南 支 部 (福岡)
戸畑 支 部 (福岡)
小倉 支 部 (福岡)
花尾城 支 部 (福岡)
対馬 支 準 (長崎)
城北 支 部 (熊本)
城南 支 部 (熊本)
上益 支 部 (熊本)

国民同士会規約

第一章  総 則

第一条  本会は国民同志会と称す

第二条  本会はその主義・主張の貫徹を期するを以って目的とする

第三条  本会は総本部を東京都に、関西本部を大阪市に置く

第四条  本会は全国各地に支部並に地区支部連合会を置く

第五条  本会はその目的達成と運営のため、左の委員会並に各局を置きそれぞれの管掌事項を処理し、運動の実践に当る

(1)  総務委員会=会務及び運動方針等の審議に当る

(2)  凶内外対策推進委員会=運動方針組織方針等基本案件の立案処理に当る

(3)  統制委員会=統制問題全般の処理に当る

(4)  事務局=指令・連絡・出版・記録・経理等日常全般の業務に当る

(5)  組織局=組織の拡大・強化・指導等組織全般の業務に当る

(6)  渉外局=他国体との連絡・協調等渉外全般の業務に当る

(7)  青年局=青年錬成・講習・青少年育成・広報・宣伝等全般の業務に当る

第二章  会 員

第六条  会員は本会の主義・主張に賛同し本規約を承認する者とする

第七条  入会には総て会員の紹介を要し、入会申込書を本部に提出し所定の手続きを経なければならない

第八条  入会希望者については本部機関に於て審議しその入会を認める

第九条  会員は本会の主義・主張・規約を遵守し、運動に協力し実践の義務を負う

第十条  会員は左の会費を納入する義務を負う

(1)  入会金  金弐百円也

(2)  会 費  金六百円也(年額)

(3)  役員会費  金壱千弐百円也以上(年額)

第十一条  会員にして本会の名誉を致損し、また本会の趣旨に反する行動をなし、また統制を棄す行為のありたる場合は、統制委員会に諮り処分する

第三章  役職員

第十二条  第十二条本会に左の役員を置く

(1)  会 長  一名

(2)  総 務  若干名

(3)  委 員  若干名

(4)  顧 問  若干名

(5)  相談役  若干名

(6)  参 与  若干名

第十三条  会長は全国大会で推戴し、本会を代表し会務全般を総績する

第十四条  総務並に委員は会員中より会長これを指名し、総務委員会を構成し会務の審議に任ずると共に、運動の実践に当る

第十五条  顧問並に相談役・参与は会長これを推挙し、会長の諮問に応ずる

第十六条  本会に左の職員を置く

(1)  総務委員会委員長  一名

(2)  内外対策推進委員会委員長  一名  委員  若干名

(3)  統制委員会委員長  一名

(4)  書記長  一名

(5)  事務局=局長一名  局員  若干名

(6)  組織局=局長一名  局員  若干名

(7)  渉外局=局長一名  局員  若干名

(8)  青年局=局長一名  局員  若干名

第十七条  総務委員会委員長は会長これを指名し、総務委員会を主宰し会務の審議に任ずる

第十八条

(1)  内外対策推進委員会委員長は会長これを指名し、運動、組織方針その他基本案件を立案処理する

(2)  内外対策推進委員会委員は会長の承認を得て会員中より委員長これを指名し、必要に応じて会員外よりの委員を推挙できる

第十九条

(1)  統制委員会委員長は会長これを指名し、統制違反事項を処理する

(2)  統制委員会委員は必要に応じ会長これを依嘱し、統制違反事項を処理する

第二十条  書記長は会長これを指名し、各局を管掌し運動の実践に任ずる

第二十一条  役員の任期は総て二ヶ年とし、重任を妨げない。各局職員の任免は会長これを行う

第二十二条  会長事故ありたる場合は全国大会に諮り、速みやかに爾後の処置を講ずる

第四章  機  関

第二十三条  本会運営のため左の機関を置く

(1)  総務委員会=総務委員会委員長随時これを召集し、会務及び運動方針等の重要事項を審議する

(2)  地区大会=会長地区別に値時これを召集し、運動及び組織方針その他を協議する

(3)  代表者会議=会長必要に応じ各地区より代表者を召集し、運動及び組織方針等を審議する

(4)  全国大会日会最高の議決機関にして、必要に応じ会長これを召集し、会規約、組織、運動方針その他を審議する。但し、代表者会議を以ってこれに代うるを得る

第五章  経  理

第二十四条  本会は左の収入を以って運営する

(1)  入金

(2)  会費

(3)  有志の拠金

(4)  その他

第二十五条  経理は会長の指示により事務局これを処理する

第六章  補  足

第二十六条  緊急を要する事項に関しては各機関の議を経ず、会長最高幹部に諮りこれを決定し、爾後に於て通告することを得る

第二十七条  支部規約、地区支部連合会規約は別にこれを定める

第二十八条  支部役員、地区支部連合会役員はそれぞれの支部、地区支部連合会より推挙し、会長これを任命する。

第二十九条  地区支部連合会は九州・四国・中国・近畿・中部・関東・東北・北海道の八地区に置く

第三十条  会長は必要に応じ適宜行動隊を組織することができる

第三十一条  本会の趣旨に賛同し本会の運動に協力する団体を支持団体とする

第三十二条  本規約の改正は全国大会に於てこれを行う

以  上

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