平成27年度12月26日

心斎橋七色にて国民同志会、日本青年協会の納会を行いました。
奥見代表会長から本年の総括と、今後の活動についてのお話をいただき、皇紀2675年という節目の納会をさせていただきました。

平成27年度11月22日

ザ・シンフォニーホールにてフィルハーモニー合唱団による戦後70年、海行かばを作曲した、信時潔没後50年という節目で、北原白秋作詞、信時潔作曲、神話を通し日本の成り立ちを綴った[海道東征]公演を[知と精神の錬成]と題して、奥見代表をはじめ8名で参加させていただきました。

平成27年度11月9日~13日

タイ北部ミャンマー国境近くメーソート群の山奥にて、カレン民族独立の為に戦った西川孝之命、今井力命、岩井和郎命の3名の日本人兵士の慰霊祭が行われた。
全国から神主を含む25名程の有志が参加した。
自由戦士之碑と称された碑には[カレン民族独立を支援、小数民族の人間としての威厳の為、青春の情熱と命を捧げた日本自由戦士ここに眠る]とある。
バンコクからメーソートまで飛行機に乗り、空港から山の中を1時間程車で走る、普段は人も通らない、ましてや日本人など訪れる事は皆無だという。
日々の供養などを近くの寺院にお願いをしまして、慰霊祭を滞りなく終える事ができました。

平成27年度8月15日

靖国神社にて正式参拝、正午に英霊に黙祷を捧げ、戦後70年という節目の年という事もあり、例年より多くの国民が集まっていました。
昨日からの3名と同志、安部紳一郎、川添匠、鎌田哲郎、西川義人、山下和成、久保竜次、梅田勇、中平恭央の11名での参拝となりました。

平成27年度8月14日

東京の多磨霊園にて、内田良平翁、三島由紀夫烈士に墓参した後、青山霊園に移動して、頭山満翁に墓参、その後民族革新会議の秋山一成氏など有志の方々の協力があり、大正13年に自決した「嗚呼 無名烈士の墓」の清掃活動を青年局から山路、長谷川、同志の高井良一輝の3名でさせていただきました。

「嗚呼無名烈士の墓」とは
大正13年5月31日赤坂米国大使館隣接地にて、排日移民法に抗議し、短刀で自らの命を断った烈士がいた。 米国政府、同国民に猛省を求めるその遺書の最後には、自らを無名の一民とだけ記していた。この義挙は日本国民の心を打ち対米抗議は国民運動へと発展していく。 当時、意気に感じた頭山満翁や内田良平氏が、呼びかけ人となり、三万人もの国民が集い無名烈士の大法要が行われた。

平成27年度8月4日~5日

広島城に全国から120名以上の有志が結集し、原爆投下という人類史上初で世界最大の大虐殺である、アメリカ国に対する謝罪要求、及び、広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑の前面に記されている
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という犠牲者がまるで加害者の様な内容に感じられる、碑文の撤去などを掲げ、街宣活動、及びデモ行進などを行った。青年局からは山路局長、長谷川、同志の堀家良仁、広島で活動されてる誠臣塾の塾長、新宅満氏及び塾生の方々と行動を共にさせていただきました。
後に広島護国神社の英霊にご報告させていただきました。

平成27年度7月13日~16日

靖国神社みたま祭に献灯させていただきました。

平成27年度3月2日~5日

皇居にて玉鉾奉仕団の勤労奉仕活動に、青年局から山路局長、長谷川、小田龍、同志の高井良一輝、若井直也、中平恭央の6名で参加させていただきました。
宮殿の庭園や、天皇皇后両陛下がお住まいになられている吹上御所、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、他の皇族の方々がお住まいになられている赤坂御苑、天皇陛下が国家、国民の為に祭祀をされている宮中三殿、賢所にまで行き清掃活動もさせていただきました。
初日から天皇皇后両陛下からの御会釈、翌日には皇太子殿下の御会釈を賜り、勤労奉仕の4日間を終え、靖国神社にご奉告を兼ね参拝させていただき、九段下の会場で、宮城、東京、名古屋、広島などで活躍されている有志の方々と直会をさせていただきました。
参加者全員、言葉では表現できない程、感慨無量の4日間でした。

平成27年度2月11日(祝)

橿原神宮にて参拝させていただき、その後神宮会館に移動し、国民同志会、日本青年協会の総会が行われた。
国民儀礼の後、奥見代表から活動などの総括を頂き、香川会長のご挨拶、前年及び今年度の活動について山本副会長から皆様にご報告をし総会は無事終了した。
同所にて総務委員長の山本先輩から弥栄のご発声の後、直来が行われた。 直来後、四天王寺に移動し、国民同志会創設者である故吉田益三先生のお墓を参らせていただきました。
総会にて西村真悟先生、三宅博先生からいただいた挨拶状を掲載しておきます。

平成27年度2月7日~9日

沖縄県の荒崎海岸にて、沖縄県遺族連合会の遺骨収容活動が行われた。大阪から有志20名で参加、青年局からは山路局長と長谷川、同志の鎌田哲郎、梅田勇の4名で参加させていただき、今回は10柱の遺骨を収容する事ができました。
その後、平和記念公園にて英霊の慰霊祭がとり行われた。
日本の為に本土以外で亡くなられ、戦後70年も経過したにも関わらず、未だに日本国に戻れていない英霊が85万柱、中でもフィリピンには37万柱という数のご遺骨が残されている。1日でも早く日本に戻れる事を祈念すると共に、微力ではあるが、この活動を続け、広げていく事を強く思いました。

平成27年度2月7日

沖縄旧海軍司令壕を見学

平成27年度1月29日

中之島公会堂にて、これでいいのか日本。という題材でシンポジウムに、参加させていただきました。